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日本 第二次世界大戦

【南雲忠一】真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦の強面提督は萌えキャラ?

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真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦。太平洋戦争で日本史の教科書に必ず出てくる2つの戦い。この2つの戦いを共に指揮した提督。

南雲忠一(なぐも ちゅういち)

 

日本で最も武勲を立てた提督と言える活躍をしたんだけど……

なんで真珠湾攻撃で徹底的にやんなかったの?ミッドウェー海戦は山口多聞提督が指揮してればなぁ、俺の嫁沈めやがって。とあんまり好意的な評価が少ない気がする人(-_-;)

 

ですが、ワタクシ六郎が第二次世界大戦の日本の指揮官の中で最も好きな方でございます。

見た目はいかつい強面、でも空母部隊の指揮官に任命された時まさかの発言。
真珠湾へ向かう空母機動部隊、その時南雲さんは……

 

今回は怖い顔だけどほんわかエピソードの多い南雲忠一提督をご説明。





南雲忠一ってどんな人?

南雲 忠一(なぐも ちゅういち)1887年(明治20年)3月25日 山形県米沢市生まれ。

 

海軍に入り、軽巡洋艦「那珂」重巡洋艦「高雄」戦艦「山城」などの艦長等を経て、太平洋戦争の開戦となる真珠湾攻撃では主力空母部隊の指揮官に任命され、

戦艦4隻撃沈などアメリカ太平洋艦隊に甚大な打撃を与えることに成功する。↑は攻撃を受けた米戦艦群。手前は轟沈した戦艦アリゾナ。

しかし被害を恐れ修理ドックなどを標的とした第二次攻撃を行わず、不十分な攻撃だったと批判もある。

 

1942年6月のミッドウェー海戦

では主力空母4隻を失う大敗北を喫する。↑は回避行動をとる艦隊旗艦の空母「赤城」
詳しくはこちら

 

その後はオーストラリアの北にあるソロモン諸島で起きた第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦でも空母部隊の指揮を執り、

1944年6月のサイパンの戦いでは海軍陸戦隊を指揮し44年7月6日自決した。

 

赤:真珠湾青:ミッドウェー島緑:ソロモン諸島灰色:サイパン

 

事実だけを見て悪くいってしまえば、

奇襲なのに消極的な真珠湾。準備不足なのに慢心してたミッドウェー。負けたのにその後もそのまま空母指揮してる。

あんまりGoodではないですね……(-_-;)

 

でもワタクシが南雲さんを好きな理由は指揮能力でなくその人柄!

以降は歴史番組とかでは語られない南雲さん個人のエピソードをご紹介*。ヾ(。>v<。)ノ゙*。

南雲さん微笑まエピソード

南雲提督への同僚の方々のコメント

見てくださいこの強面。

正に猛将。日本軍の怖いオジサンのイメージでしたが、

一緒に空母部隊に勤めるの方々の南雲さんへのコメントは……

参謀長の草鹿少将「繊細、人情に厚い」
航空参謀の源田大佐「情愛がこまかく、思いやり深い」
総飛行隊長の淵田中佐「開戦してからは以前より闘志が減ったけど、前よりやさしい」

 

写真のイメージと大分違う……(^ω^ )

また中佐時代には訪ねてきた母を迎えに行った際、背負って歩くなど家族思いの面も。ただ軍服で迎え行くのどうなの?

真珠湾攻撃に対しての南雲提督

日本の命運を担う空母部隊の指揮官に任命された南雲提督。

「軍人冥利に尽きる」「歴史に名を刻んでやろう」とか言ったんだろうなぁってアナタ思うでしょ。

 

ところが、南雲提督いや南雲さんのコメントは……

「とんでもないこと引き受けちゃった、断ればよかった」
(;´д`)トホホ…

 

……想定外のコメントっすね(◎_◎;)

 

更に参謀の

草鹿龍之介(くさか りゅうのすけ)少将(弟子から全日本剣道連盟会長が出る程の剣豪)に励まされても、

「君は楽天家だねぇ、羨ましいよ」(´д`)=3

 

真珠湾への道中では、不安そうに空母赤城の甲板にいた南雲さんに

飛行隊長の村田重治(むらた しげはる)少佐が「何も心配するこたないですよ。一言、やれって言ってくれれば、それで良かですよ」と20歳以上年下の少佐に励まされる南雲中将
(>_< )ヾ(^ω^ )ヨシヨシ

写真の猛将イメージどこ行った……orz

 

軍隊の階級についてはこちらへ。

南雲忠一提督カッコいい軍人エピソード

真珠湾攻撃での南雲提督イケメンエピソード

真珠湾まで艦隊が見つからないように荒れた北太平洋を往く為に燃料が問題になったが、ドラム缶などで過剰な量の燃料を南雲提督の責任の元で積む。

↑真珠湾攻撃の南雲艦隊の航路。
1941年11月26日に現在の北方領土の択捉島(えとろふとう)単冠湾(ひとかっぷわん)を出港し、12月8日に真珠湾攻撃、12月23日に日本へ帰還した。

 

任命時に「とんでもないこと引き受けちゃった」と言うも「引き受けたからには、全力を尽くすよ」
(`・ω・´)ゞ

 

なにより空母自体が新しい兵器で、世界で初めて編成された空母機動部隊の指揮官が南雲さん。

それでいて7ヵ月くらいしかない訓練期間でアメリカ太平洋艦隊に壊滅的打撃を与えた真珠湾攻撃を実行できたんだから、南雲提督十分凄い人じゃない?

 

ちなみにミッドウェー海戦では南雲提督が艦長に代わり空母赤城の操艦を行い、たちまち魚雷数発を回避。
艦隊司令官の仕事じゃないけど凄いぞ南雲さん!

南雲提督の最後の戦い

ソロモン諸島での戦いの後、空母部隊は

小沢治三郎(おざわ じさぶろう)提督が指揮することになり(小沢提督は最後の連合艦隊司令長官を務める人物、南雲さんとは飲み友達)

南雲提督は
『中部太平洋方面艦隊司令長官兼第十四航空艦隊司令長官』
なる役職に就くが、第十四航空艦隊はすぐに別の部隊へ移る等ほとんど有力な戦力のない部隊だった。

 

南雲提督は家族に「今度は帰らない」と告げ、任地であるサイパンに出征した。

 

戦況はすでに圧倒的に不利で1944年6月15日から米軍のサイパン攻撃が始まり、

1944年7月6日、南雲忠一提督は日本の方角を向き自決し、7月9日にサイパンは陥落した。

 

最後の言葉は介錯役の副官の「よろしうございますか」に対しての「どうぞ」だった。

まとめ

( ;∀;) ジーン

強面のイメージと全然違う人間味に溢れた立派な軍人さんだとは思いませんか?

真珠湾で第二次攻撃しなかった、ミッドウェーの敗戦とか言われても、あったかエピソードのある誇れる方だと私は思いますよ。(´Д⊂グスン

五十六さんに山口多聞提督持ち上げる為に南雲提督イジメるなんて許さないんだからね。
ヽ(`Д´)ノプンプン

南雲さんに限らず歴史上の人物調べてみると、事実は小説より奇なりってホントだねぇ(-ω-;)って実感しますぞ。

え……なにやってんのコイツ(-_-;)
すげぇ滅茶苦茶強いんじゃんこのお方(◎_◎;)

って教科書とかに乗らない「ドン引き」「爆笑」「感動」エピソード持ってる方沢山いるよ。
(*^∀゚)ъ

 

キミのイチオシ人物見つけたら私にも教えてくだされ。
(人´3`)⌒♡

 

今回はここまで、

ご閲覧ありがとうござます。

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