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艦これから史実へ【リアル提督】太平洋戦争での指揮官の方々をご紹介

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こんにちは六郎です。

今回は艦これ等で日本のお舟の名前は知られるようになってきたけど……

 

実際に艦隊指揮してた提督ってどんな人がいたの(・3・)?

艦これでチラホラ名前が言われる人も居るし……

 

艦これで提督やってるなら、先人の活躍を知りたいお(⌒ω⌒)

と言う訳で今回は太平洋戦争で実際に艦隊の指揮を執っていた【リアル提督】を何人かご紹介!






山本五十六・真珠湾攻撃の立案者

日本で一番有名だと思う軍人。山本五十六(やまもと いそろく)
名前の由来は父が56歳の時に生まれたから。

 

真珠湾攻撃の立案者として知られるが、駐米武官の経験があり日米開戦には反対だったが、連合艦隊司令長官として戦争の指揮を執ることになる。
連合艦隊って何?→こちらで解説。

 

アメリカとの戦いに備え航空機の発展に努め、真珠湾攻撃で甚大な被害を与えることに成功するが、

ミッドウェー海戦での敗北、ソロモンの死闘と戦況は悪化し、

1943年4月18日。最前線の視察の途中ブーゲンビル島上空でアメリカ軍の待ち伏せに合い搭乗していた一式陸攻が撃墜され戦死した。

大艦巨砲主義から航空戦への扉を開き、開戦回避に努めた確固たる信念をもった提督。

 

真珠湾攻撃については↓

太平洋戦争、真珠湾攻撃。開戦理由、何故真珠湾が選ばれたか等を解説

・かなりの博打好きであり、軍をクビになったらモナコでカジノ通いすると言っていたが、勝ち過ぎてモナコカジノ協会から出禁にされた。

・下戸だったが甘いもの好きで、副官は羊羹を切らさないようにしたり、大和の冷蔵庫にパパイヤが詰め込まれたり、夜食のお汁粉に喜んだりした。

・真珠湾攻撃の戦果から山本神社を建てる動きがあったが、神格化されることを嫌っていたので建てられなかった。

 

「やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」

今でも十二分に通用する名言だよなぁ。

真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦の現場指揮官:南雲忠一

真珠湾攻撃にミッドウェー海戦。太平洋戦争において著名な二つの戦いで現場指揮を執っていた提督。

南雲忠一(なぐも ちゅういち)

怖そうな顔と真逆のエピソードばっかりの、ワタクシ六郎が最も好きな提督。
詳しくは↓

【南雲忠一】真珠湾攻撃、ミッドウェー海戦の強面提督は萌えキャラ?

飛龍の反撃。海軍航空隊の育成者:山口多聞

日本海軍が誇る猛将。山口多聞(やまぐち たもん)提督。

早くから航空機の発展に努め開戦時には蒼龍、飛龍の第二航空戦隊の指揮官となり、

真珠湾攻撃、インド洋でのセイロン沖海戦、ミッドウェー海戦などで指揮を執った。

 

ミッドウェー海戦では赤城、加賀、蒼龍が被弾し、「我レ今ヨリ航空戦ノ指揮ヲ執ル」と飛龍単独で米空母3隻に戦いを挑み、米空母ヨークタウンを大破させるも、

力尽き飛龍と運命を共にした。

 

山口提督は真珠湾攻撃で第二次攻撃隊を準備したり、ミッドウェー海戦で米空母発見の報に「直ちに攻撃すべし」と結果的に見れば正解となる選択を行えていた。

アメリカからも山本五十六の後継者と評されていた提督。

 

ちなみに日本海軍屈指の大飯食らいで、

・大和での食事で「美味いけど量が少ねぇ」とコメント。
・五十六さんも「山口くんのご飯多めにしといて」と指示。
・同期の友人と二人で料亭に行って4人前を注文「俺が3人前食う」

 

大変な愛妻家でもあり、

「貴方だけのもの、多聞より 私だけのもの、孝子様」と書いた手紙を多数出している。

勇名だけでなく一個人としてのエピソードも多い提督。

最後の連合艦隊司令長官:小沢治三郎

大日本帝国海軍最後の連合艦隊司令長官。

小沢治三郎(おざわ じさぶろう)提督。

 

日米合わせて24隻もの空母が激突した太平洋戦争の関ヶ原『マリアナ沖海戦』で日本艦隊を指揮し、

レイテ沖海戦でも囮となる空母部隊を率いた提督。

 

アメリカ側からの評価も高い提督だが、如何せん状況が悪かった。

・マリアナ沖海戦では日本は空母9隻の内、正規空母は翔鶴、瑞鶴に大鳳↑の3隻で、アメリカは15隻中7隻が正規空母で殆どが新型エセックス級超大型空母。

レイテのエンガノ岬沖海戦はそもそも囮なので艦載機を殆ど搭載していなかった。

 

連合艦隊司令長官に就任したといっても1945年5月29日からじゃ……orz

ただ長官就任に伴う中将から大将への昇進を敗戦の中の出世と拒み、中将として連合艦隊司令長官に就いた。

 

終戦に向け自決に早やる部下を諫めて回り、戦後は貧困の中で従軍者の支援団体をつくり、取材にたいして沈黙を貫いた。

 

陸軍とも中が良かった提督で、戦争序盤でもっと重役にいればなぁ……

日本海軍きっての闘将:角田覚治

偵察機ですら爆撃に使うなど勇猛果敢な角田覚治(かくた かくじ)提督。

中でも角田提督の闘将っぶりがいかんなく発揮されたのが『南太平洋海戦』である。

 

南太平洋海戦において、

隼鷹↑に乗艦していた角田提督。

戦いは、米空母ホーネットを航行不能に追い込むが、艦隊指揮官の南雲中将座する旗艦の翔鶴が大破。

指揮権を託された角田提督は、

「全速力で迎えに行く。攻撃隊は直ちに発艦せよ!」

と米艦隊が行動範囲外に居るものの攻撃隊を出撃させ、隼鷹を米艦隊に急行させ6度にもわたる執拗な追撃を敢行。


↑ホーネットに急降下爆撃を行う九九式艦爆。 急降下爆撃マジ急降下爆撃。

 

結果、ホーネットを大破(後に撃沈)エンタープライズを中破させ、

アメリカの太平洋地域における行動可能空母を0にする戦果を挙げた。

 

最後はマリアナ諸島テニアンで基地航空隊の指揮を執っていたが、テニアン島で最高位の軍人でありながら自ら上陸してきた米軍との戦闘に参加し行方不明となった。

 

苛烈な勇猛さだけでなく、

夜間に帰還する艦載機の為に危険を承知でサーチライトを使う。
粗末な食器を持参する。
航空戦に優れる後輩の山口多聞提督の元で働きたかったと述べる等、

戦国、三国志の英雄豪傑の様な清々しい武人提督。

華の二水戦司令官:田中頼三

日本海軍最精鋭部隊『第二水雷戦隊』開戦時に指揮を執っていたのが、

田中頼三(たなか らいぞう)提督。艦これで長波サマが言ってる田中提督ネ。

 

第一水雷戦隊が最重要任務、連合艦隊旗艦の護衛に。

故に、第二水雷戦隊は二番目に重要な先鋒を担う艦隊。最も早く敵と戦う最も危険で最も栄誉な部隊。

 

中でも、1942年11月30日の『ルンガ沖海戦』では、

日本:長波↑、高波、黒潮、親潮、陽炎、巻波、江風、涼風
と駆逐艦8隻で多くの船が輸送物資を積んでいる為に、武装を一部降ろした状態。

対してアメリカは、
重巡4隻、軽巡1隻、駆逐艦6隻。

勝てる訳ねぇ(°Д°; と絶望的な状態だったかが……

 

結果は……

日本:高波が轟沈。
アメリカ:重巡1隻轟沈、3隻大破。

まさかの日本側の大勝であるΣ(〇ω〇ノ)ノ!

 

ルンガ沖海戦や危険な輸送作戦を何度も実施したことから、アメリカでは極めて評価の高い提督だが……

 

やむを得ずの駆逐艦での輸送作戦を批判したりと、言いたいことズバズバ言う人だったみたい……

ルンガ沖海戦も大勝利ではなく輸送作戦の失敗、一年前の戦いまで遡って批判され陸上勤務に左遷された。

 

長波サマの言う通り、戦上手の生き方下手の提督。

キスカ島の奇跡、叩き上げの名将:木村昌福

お髭の立派な木村昌福(きむら まさとみ)提督。 アダ名は髭のショーフク。

海軍大学を卒業せずとも中将まで上り詰めた御仁。

 

アリューシャン列島のキスカ島に五千人以上の兵士が米艦隊に包囲された際に、

救出部隊の指揮を執り様々な幸運もあり無血で全員救出に成功する『キスカ島の奇跡』の立役者。

 

 

また、1944年12月26日の礼号作戦(フィリピンのアメリカ軍陣地、輸送船団への攻撃)において重巡の足柄、軽巡の大淀でなく小回りが利くと駆逐艦の霞を旗艦とし日本海軍最後の勝利を挙げた。

作戦終了後直ちに帰還する予定だったが、作戦中に轟沈した清霜の生存者の救助のため現場に留まり行った。

 

終戦後、その功績を讃え軍の解体前に異例の中将へ昇進した。

まとめ

他にも戦時下の中「世界を相手にしとるのに共用語の英語も話せんなどありえん」と英語教育を行い続けた教育者、井上成美(いのうえ しげよし)提督。

大和の沖縄特効の指揮を執った日本海軍きっての愛妻家、伊藤整一(いとう せいいち)提督。

 

等々いろんな提督が数多居られるので興味湧いたら調べて見ると日本軍の印象、結構変わるよ(^^)b

今回はここまで、

ご閲覧ありがとうござます。

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