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大河ドラマ西郷どん・英雄から反逆者へ【西郷隆盛】ってどんな人?

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2018年の大河ドラマ「西郷どん」

 

おおっ遂に明治維新の大英雄【西郷隆盛】が大河ドラマに٩(ˊωˋ*)و

西郷どんと言えば…(*^_^*)

えーと(^-^;)

…何した人なん( ̄◇ ̄;)?

名前はよく聞くけどこの人なんでこんな知名度ある人なの?

と言う訳で今回は大河ドラマに備えて「西郷どん」こと西郷隆盛とはどんな人か大雑把に解説でゴワス٩(o`н´o)و





西郷隆盛・下級武士から討幕の英雄そして反逆者

下級武士から殿さまのお気に入り


西郷どんこと西郷隆盛は1823年1月23日年に薩摩藩(現在の鹿児島県)の下級武士の家に生まれる。

子供のころはイメージ通り武芸に優れていたが、腕を怪我したことで学問にうちこむ。

ちなみに同じく明治維新の重役

大久保利通は幼馴染。

 

西郷どんの運命は薩摩藩藩主の島津斉彬(しまづ なりあきら)の寵臣となったことで大きく動く。

↑島津斉彬 大砲やらガラスやら外国式の帆船とか作っちゃう革新的な人で、下級武士だった西郷どんや大久保利通を重用するなど幕末の藩主の中でも特に評価が高い方。

斉彬は藩主になる前から多くの大名と接していた(水戸、尾張の徳川御三家とも交流があった)ので、西郷どんは斉彬に教えを受けつつ、多くの賢人とも会うことができた。

ところが西郷どんの人生は山あり谷あり思わぬ暗雲が立ち込める。

敬愛する主君の死に島流し、そして討幕の英雄へ

なんと道半ばにして島津斉彬が亡くなってしてしまう。

悲しみに沈む西郷どん…

更に次の藩主の島津久光(しまづ ひさみつ)とはおりが悪く、西郷どんは命令無視して島流しにあってしまう。

しかし島津久光も京都、江戸に詳しい人材を欲しており西郷どんは島流しから帰ると京都の薩摩軍の指揮を執る。

西郷どんは京都で長州藩(現在の山口県)と戦い勝利(禁門の変または蛤御門の変↑)
そして、長州藩を討つ長州征伐を行った際は幕府軍の参謀として参加。
西郷どんは武力ではなく話し合いで長州征伐を解決させるが…

徹底的に長州藩を討つべしと声が上がり第二次長州征伐が起きる。

しかし、この時薩摩藩は「外国から日本を守るには、幕府を倒して新しい政府を作るべき」と考えており

坂本龍馬↑が間に入り、薩長同盟が結ばれる。

第二次長州征伐で幕府軍が長州藩に敗れると討幕に動き、

鳥羽・伏見の戦いで幕府軍を破り
西郷どんは討幕軍でも参謀に就き江戸を目指すが、

幕府の勝海舟と会談し、

↑勝海舟。アメリカに行った際の写真。

江戸城明け渡しを決定し江戸幕府は歴史に幕を降ろす。

明治政府の代表から反逆者へ

新政府では西郷どんは陸軍元帥に任命され(後に元帥が廃止され大将に)軍の育成を行い、

明治政府の主要メンバーが外国訪問に行った際

↑岩倉使節団。真ん中が代表の岩倉具視(いわくら ともみ)

西郷どん、いや西郷隆盛は政府代表に就く。
えっ(°Д°;軍のトップでほぼ総理大臣してんじゃん何この方
((((;゜Д゜)))ガクブル

しかし、
政府の多くの者が西洋風の生活として食事や洋服を変え香水や時計を持つことを西郷隆盛は贅沢に溺れているように見え、
諸外国を回ってきた面々と意見が割れるようになったことで、
西郷隆盛は政府の役職を辞任し鹿児島に帰った。

 

西郷隆盛は鹿児島で私学校を開き若者の教育をしながら、のんびり暮らしていた。

ところが、明治政府にとっては西郷の隠居は問題事で、
西郷隆盛が自分の元で人材を教育していくことは、新たな別の政府を作る危険があるとして西郷隆盛を監視することにした。

この動きに私学校の若者が明治政府が西郷隆盛を暗殺しようとしているとし(シサツを視察と刺殺で間違えた説もあり)政府の武器庫を襲撃してしまう。

西郷隆盛は政府と戦って勝ち目が無いこと理解していたが挙兵(西南戦争)

↑フランスの新聞に描かれた西郷軍。

西郷軍は3万まで膨らみ、明治初期の士族の反乱として最大の軍勢で九州の政府軍の要所の熊本城を攻める。

↑熊本城。皮肉なことに武士の世を終わりにした明治政府軍が立てこもった西南戦争が唯一の実戦だった。

しかし熊本城を落とす前に政府の討伐軍が九州に上陸。
数に装備に劣る西郷軍は劣勢になり鹿児島に撤退し、

1877年9月24日。西郷隆盛は自決し49年の生涯を終えた。

 

西郷どんの人生を要約すると…
下級武士→名君の寵臣→島流し→幕府軍参謀→討幕軍参謀→陸軍大将→政府トップ→反逆者。
さすが、幕末の英雄の中でも特に知名度飛びぬけてるだけの人だわ…
すんげぇ人生(°Д°;

名前は隆盛じゃない!?西郷どん逸話紹介

・実は名前は隆盛でなく隆永(たかなが)だったが、

新政府樹立の際、西郷どんに位を授けるため、西郷どんの親友に名前を聞いたところ、彼も幼名の吉之助(きちのすけ)と呼んでいたため間違えて西郷どんの父親の隆盛と答えてしまい、隆盛と記されてしまった。

しかし、流石は西郷どん。なんと隆永から隆盛に改名するという豪快な解決方法をとる。

ちなみに弟の西郷従道(じゅうどう)も隆興(りゅうこう)と名乗ったが聞き間違いで従道となった。

 

・西郷どんは写真が嫌いで銅像などは

西郷どんの親族が参考になっている。ちなみに尊敬していた島津斉彬は逆で写真好き。

 

・軍歌の「抜刀隊」は西南戦争の西郷軍を敵方に歌っている。

・西郷隆盛が起こした西南戦争が日本で最後の内戦となっている。

隆盛どんだけじゃない。ハイスペック一族

陸軍大将となり明治政府の代表も務めた西郷どん。

しかし、優秀なのは西郷隆盛だけでない。

明治政府の要職を務めた西郷どんの一族をご紹介。

弟、西郷従道(さいごう じゅうどう)

西郷隆盛が長男で従道は三男。伊藤博文の初代内閣で海軍大臣になり(その後も何回も)帝国海軍の創設に尽力。

従弟、大山巌(おおやま いわお)

伊藤博文の初代内閣で陸軍大臣を務め(その後も何回も)日露戦争では満州軍総司令官として日本陸軍を勝利させた。

 

ちなみに二人とも総理大臣の候補に挙がったが、政府に反した西郷隆盛に配慮して辞している。

マジですげぇ一族じゃんΣ(,,oΔo,,*)

ちなみに日本海海戦でバルチック艦隊を破った英雄「東郷平八郎」も薩摩藩出身。

薩摩藩ヤバくね…Σ(゚ロ、゚;)

まとめ

人生山あり谷あり、英雄から反逆者。ものすっごい人生を歩んだ人。

日本史だと農民から天下人になった豊臣秀吉の次に出世した人なんじゃないかな?

政府高官になっても質素な生活をして、作法がわからんと皿もってスープのんじゃうお茶目さん。

 

反逆者になってもここまで知名度がるのは、それだけ人々から愛された証拠でしょう。

今年の大河ドラマ楽しみですねぇ(⌒▽⌒)

 

今回はここまで、

ご閲覧ありがとうございました。

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